まったくだらしない。なんとナード(ギークよりは多分こっちより)の欲望を垂れながした映画であることか。どうでもいいことだが「すてきな片想い」と「ときめきサイエンス」ときてなぜ「ブレック・ファスト・クラブ」をやらんのだNHKよ。
おはなしは至極単純。冴えないナード二人が当時としては珍しい自宅のコンピュータで理想の女性を作り出し、彼女の下で典型的ないじめっ子脳筋ジョック(微妙にジョックから外れてはいるような気もするが)を手玉に取りながら彼らから想い人を奪取するというおはなし。
まったくだらしない。これだけ欲望に忠実で潔い映画というのはトランスフォーマー第一作目以来である。大根仁とかパッケージはぽいけど微妙にこの路線から外れているだろうし。
しかし、それゆえにフリークスに注がれる愛の視線は心に響く。まっとうでシンプル、ともすれば型通りすぎるような成長譚は、しかし今の日本にあってはどれだけ貴重なものであるかを思い知らされる。こういうの、日本の低予算でもアイデアと愛情さえあればできると思うんですけどね。ちなみに、わたしの中でフリークスという言葉はナードやギークをも含む包括的で広義なものであったりする。
ダメか。今の日本のオタク(もはやこの言葉の定義すらおぼつかない)には圧倒的に自己卑下が欠如しているから、少なくともアニメ・マンガ・ラノベの分野からこれらのフリークス愛に満ちた作品が出てくることはしばらくはないだろうなー多分。かといって実写邦画もインディペンデントはアート系で大手資本は実写化ばかりなので難しいのかしら。「ちはやふる」は良かったけど、あれはフリークス愛の映画じゃねえしな。というかよく考えたらフリークス愛のある映画って邦画だとないような…。園子温の「地獄でなぜ悪い」はそれっぽいけど、あの人の演出ってど直球に見えてガワっぽいのではないかと思うのですよね。なんというか、真からど直球なのではなくて、それを描くのが恥ずかしいからわざとおどけてみせているような感じというか。実際はどうか知らないけど。園子温はハイテンションなものより「ちゃんと伝える」とか「気球クラブ」の路線は結構好きだったりするんですよねぇ個人的に。
話を戻さねば。設定は荒唐無稽だけれど、ちゃんと画で見せてくれるしテンポも早くて飽きずに見れるのが強い。開始数分で人造人間作り始めるからね、うん。ウジウジしたところもないし。書いてて思ったけどガワだけとってみると「ビルとテッド」ですねこれ。
自宅のコンピュータで人造人間を作り出すというのは半笑いかもしれないが、それはコメディとして割り切れるし、何よりその作成過程の視覚的・アイデア的な楽しさに没頭してしまいすぐにそんなことは横に置かれる。嘘だけど。いや、コンピュータというものへの理解のなさ(意図的だろうが)と希望的観測もとい願望によって、とんでもないことをやってくれる。雑誌から切り取った人物の顔を取り込んで3Dにするのとか、アインシュタインの下りとか、媒介にバービーっぽい人形使ったりとか。あとは「ぼくらのウォーゲーム」や「サマーウォーズ」の先駆けというか、細田はこれを参考にしたのかなーと思うくらいのハッキング描写。あれも荒唐無稽ではありますが、ただただ見ていて楽しいからいいのである。しょぼすぎるポリゴンとか64ぽくて懐古。
個人的にはワイアットとチェットの愛情の表現が絶妙にギャグ描写の中に落とし込んでいたりしてすごい上手い。タオル一枚で女性ものの服を着ている弟(ワイアット)を叱りながら、その一枚のタオルを差し出して「下を隠せ」というあたり、チェットの「弟を愛している」というのちの発言がちゃんと浮薄なものではないのだと思わせてくれる。兄のチェットが今は亡きビル・パクストンというのもいい。
というかチェットが出てくる場面は総じて全部いい。モンスターにされるところもそう含めて、嫌な奴にみせかけて愛嬌があるんですわ、あいつ。わざわざターンして両肘でドアを開けるところとか。
そういえば脳筋ジョック二人組の片方がロバートダウニージュニアで笑ってしまった。若いのなんのって。しかもブルーレイ版の吹き替えが桜塚やっくんというのもわけわからなくて笑ってしまった。
女子(女性にあらず)の浅ましさとか、ゲイリーの父親の記憶のくだりの天丼とかまー色々楽しい部分が多いこと多いこと。カメラワークも実はすごい周到に考えられていて、リサとの別れのときにずっと三人のアップを移していてカットが切り替わると核弾頭がまだ生えていたりとか、笑いの生み出し方がすごい上手い監督だと思うジョン・ヒューズ。
どちらかというとプロデューサー的な仕事が多かったようですが、もっと彼の撮った映画を観てみたかったなーと思う。
つーかこれジョエル・シルバー製作なのかよ。あの人も手広くやってんなおい。