dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

2021 4

「ハンターキラー 潜航せよ」

なんだか普通に面白いぞこれ…。

有能、有情、忠誠。臭くなく、それでいて王道な展開を堂々と撮ってみせるこの映画の真っ直ぐさは称揚して然るべきであろう。

それを下支えするのは細かい描写(潜航する際のクルーの斜め立ちなど)、指揮系統の描きなどなど。

ロシア人艦長がジョン・ウィックのあの人なのも凄い良い…のにこれが遺作になってしまったのは残念至極。とはいえ遺作として残しても問題ない(緒形拳…)程度の良作であることには間違いない。

 

「ゾンビ ディレクターズカット版」

初めて通しで観たんですけど、ユーモアってこういうことなのかな、と。

今までいくつかゾンビ映画を観てきたけれど、そのどれとも違う(ロメロ自身の作品も含め)気がする。少なくとも「ダイアリー~」からはここまでユーモアを受け取ることはなかった気がする。音楽(ゴブリンとダリオ・アルジェント!)の緩急のつけ方は、特に最近のゾンビ映画の常に張り詰めたような息苦しさにはないのではないか。

走るゾンビ、というものが登場したときにその賛否が分かれたのは、そこには緩急が存在しえないからではないだろうか。この映画におけるゾンビは、緩慢で愚鈍(と生者はみなす)でありながら、しかしその握力と顎力は人体を肉片にしてしまう。

思うに、ロメロのゾンビが批評性を帯びるというのは、そういったユーモアを含めた緩急によって伝播するというかにじみ出るものなのではないだろうか。

あるいは人間同士の対立も、単に「世界がこうなったらこうなるのだから」というロジックをよりどころにしているというよりは、むしろ主人公たちの鏡像としての、表現そのものに依拠している気さえする。

にしても序盤であれだけ死者を殺すことに痛みを覚えていたのに・・・という塩梅も、あんまり見ない気がする。

 

 

「スパイの妻」

Kコ曰く「狂った世の中で気が狂えるなら気は確かよ」

狂わないことが狂っている。その逆説。やっぱり蒼井優ってすごい。あの絶妙なニュアンスを表現する表情の機微は、もうしつこく書いてるけれど全然好みのタイプというルックスではないにも関わらずその表情に魅了されてしまう。

この映画、なんかの製作ドキュメントだったかで見聞きしたとき、黒沢門下の人が持ち込んだ企画だったと記憶している(だからクレジットも黒沢清以外に二人いた)のだけれど、当然なんだけれどそれでもやっぱり黒沢清の映画であるわけで。

黒沢さんの映画って、なんかすごい何かを何かでエミュレートしようとしているような気がするんですよね。

今回でいえば、ロジカルではない人の感情(聡子)をあえてロジック(優作)との葛藤(対立ではなく)によってその対比対象そのものをエミュろうとしているというか。

黒沢映画には幽霊的(というか彼岸的?)なモチーフが散見されるわけだけれど、これまでは割と「それはそれとしてある」というか、ある種の怜悧さみたいなものがあったと思うのだけれど、ここ数年はその橋を渡そうとしているのではないかという気が。

なんというか今回は特にその越境を指向しているようにも観える。

んで、なんでかと思って考えたんですけど、今回の舞台って現代じゃないんですよね。つまり、セットのレベルからして徹底的に作りこまれているがゆえに、幽霊だとか宇宙人だとか変人(おい)とか、そういうのなしに画面に映るすべてが異界化しているというか。まあ私が観たのはテレビ版だから、というのもあるのでしょうが。

けれどもやはり異界としての近過去というのは少なからず感じてしまう。そこで展開されるやりとりはシミュレーション的であるとすら言えてしまう感触がした。

仮想現実で繰り広げられる聡子と優作のゲーム対決。この映画はひとえにそこに収束できる気がする。

それを外部から見るのはほかならぬ観客であり、映画内映画(というかフィルム)というギミックも、その排他的?な原理を想起させる。

何はともあれ面白い映画だった。

 

 

「ムトゥ 踊るマハラジャ

荒削りではあるのだけれど、なかなかどうして嫌いになれない。「駅馬車」とかあの辺を明らかに踏襲していながらも全然高飛車なところがない。SEとかは今聞くと噴き出すようなものとかも多いし、決してウェルメイドとかそういうのではないのだけれど、それでもその情熱の熱量とテンションだけで持っていけるポテンシャルはある。

 

ラ・ブーム

映画館のくだりとか最高なんですけど、なんか当時のイマイ感じってこんな感じなのだろうか。 

 

「7年目の浮気」

 単なる役得じゃねーか!