久々のアベマロードってことで、明日も映画を見に行くのですが観ました。
個々のデティールで笑える映画でありながら、ダメな人間が一人の人間との出会いによって変化していく普通に熱い映画でもあるという。まあ、笑えるディテールが多すぎ&配分のせいで後半40分と前半70分が別の映画みたいになってますが。緩急が本当に数秒なのでわかりやすいと言えばわかりやすいですが。
安藤サクラ、まったく異なる映画に変わるシーンの前後で体格が変わりすぎていて逆に失敗してないだろうか、これ。ゲームをやっている場面が前半と後半で二回同じアングルで撮っているのに、まったく体格が違うように視える。のに、同じ日に撮影しているというのだから凄まじい。見せ方次第でどうにでもなるという意味では、やはり演技もさることながら演出や衣装やメイクがどれだけ重要なのかということを認識させてもくれる。
しかしこれ、案外わたくし好みの映画かもしれない。一見するとまったくつながりのない怪しいおばさん(根岸季衣 演)は、しかしその実フリークス以外の何者でもない。もちろん安藤サクラ演じる一子もそうだ。そして終盤になって一時間ぶりに顔を現す親父も、一度は一子を裏切った狩野もそう。それぞれの過去が描かれるわけではない。けれど、たしかにわかる。そもそも父親はひもみたいなものだし、すわ統合失調症かと思わせる怪しいおばさんは(当然とはいえ)煙たがられる存在であり、狩野だって嫌な人間ではあるのだから。
狩野に「なぜボクシングを始めたのか」と問われたときの、実に陰なる者が言いそうな一子の回答も実に良い。あそこではきはきと、あるいはっきりと力強く答えられようものならしらけてしまう。一子はそんなやつじゃないはずだから。
素直に描くのが恥ずかしい。だから笑いを盛り込みこねくり回しているのに結局はまっすぐに突き進んでいる。ボクシングのシーン、予算や技術的な問題はあるだろうが、それにしたてベタな演出ではありませんか。だって、そう描くしかないんだもの、一子を撮るには。まったく、なんとも愛らしい映画であることか。この映画を素直に好きになれる自分で良かったと思える、思わせてくれる愛おしい映画。
そう、終盤になってようやく判明するこの映画の本性とは、フリークスたちの挽歌でありすなわち百八円の恋なのである。エンディングまで含めて一本の映画なのだから間違いではないでしょう。
そりゃわたしの好きな映画に決まってるじゃんすか。ただ、それは同時にわたしの中では一つのフリークスの敗北でもあるのですが・・・。
あと安藤サクラがかわいいという稀有な映画でもある。あの人、ほかの映画では強烈な存在感を放ちこそすれ、素直に可愛い役というのもないからなぁ。