「ハスラーズ」の一般向け初号試写会に行ってきました。いくつか試写会に応募していたんですが、一番観たかったのが当たったのは僥倖なり。
しかし朝日ホール使うだけあってかなり人数多かったです。「見えない目撃者」もかなりのもんでしたが。
今回、人もさることながらHUSTLERS MEMBER'S CARDなるグッズ?がもらえたりその場で感想ツイートするとパスケースが全員にもらえるキャンペーンを実施していたり、日本公開にあたってかなり力入れてるようです。なんにせよ試写会でこういうグッズがもらえるのはいいことです。
内容が内容だからか女性客の比率が圧倒的に多かったです。まあこれ、正直言って男が観たら居心地悪いだろうし、ターゲットも女性だろうから当然っちゃ当然ですけど。
当初は本編のみだったらしいのですが、よしひらまさみちさんと山崎まどかさんのトークが追加されさらにお得な気分に。
とはいえ、そこまで中身のあるものでもなく、ジェイローごいすーとか若手ラッパーが出ててーとか、カメオしててーとか、まあそんな感じなんで特に書き起こすほどのものではないかな。あたくしは海外の音楽事情にはかなり疎いので参考になるようであまり参考にならなかったです、申し訳ない。
余談ですがコンスタンス・ウーが丸山桂里奈に見えてしょうがなかったです。
もう一つどうでもいいことですがクレジットの頭がジェイローじゃなくて彼女なのもなんか変な感じ。確かにウーさんがメインではありますけど、どっちかというとドラえもんがジェイローで彼女はのび太的な立ち位置な気がしたので。まあそれを言ってしまえば「スーパーマン」でクレジットの頭を飾れなかった主役もいますし、ああいうのは色々と忖度が働いているのでしょうが。
それはともかく本編についての感想をば。
製作にアダム・マッケイ(とウィル・フェレル)が参加しているので、なんとなく社会風刺的な色を帯びていますが、彼の監督作ほど露骨ではないというか、あそこまで政治経済を主軸にはしておらず、むしろ「オーシャンズ」シリーズ的な趣がある映画ですので変に気張らず素直に観れます。と、思っていたんですけどね。実はそうでもないんですよねーこれが。
いやほんと、こんな感じ。
事実ベースであることも含めて色々な意味で(いや本当に色々な意味で)「マネーショート」のB面的な映画でもある気はするので、そういう意味ではやはりアダム・マッケイの存在感は強い。というか彼が描いてきたことの影が、見えない形でこの映画に大きく作用している。とは言えましょう。
あと久々にアス比を意識する映画でした。
登場人物を並列に描くシーンが多かったり、あるいは真正面からふんぞり返る野郎どものシーンの横柄な感じとかシネスコのおかげで憎らしさ倍増。あとやたら人物を中心に据えた長いワンカットがあったので、その撮影方法で背景の情報量を増やしていたのかなーと。
みんながワイワイやってるシーンはシネスコサイズの画面いっぱいが多幸感であふれていて、彼女たちのこれまでの境遇や顛末を思ってうるっと来てしまいました。
そうでなくとも最近は幸せそうな人を観てるだけでなけてきてしまうのですが。
この映画、編集がちょっと特殊というか、かなり「過程」を省いている気がする。いやこれ編集のせいなのかな。脚本レベルなのかな。
おかげでテンポよく進んでいくんですが、一方で何かが欠落しているような印象も受ける。ディステニーに子どもができるまでのシークエンスなんか、ほとんど何かを忌避するかのようですらあった。もしもそれが思っているとおりなら、多分それは男性が絡むシーンを切っているからなのかもしれない。それこそ編集のリズムが奇妙に見えてしまうくらい。
そう思えるほど、徹底して男が敵として描かれている。ほとんど必要悪として。一人だけディステニーが罪悪感を感じる相手も登場してくるんですけど、はっきり言ってそれはほとんどポーズのようなもので、彼女にとっての罪悪感というよりはむしろラモーナとの決別のきっかけの一つに見える。
だから、これは男性が観たらかなり気まずくなるし、人によっては憤慨するかもしれない。でもそれは男性が向き合わなければならない問題を、女性が抱える絶望を描いているからなのでせう。
それを象徴する、観ていてぞっとするシーンがある。
リーマンショック後の、ラモーナらが金づると見定めた男に薬を飲ませて「個室」に連れ込んで金を巻き上げるハメるシーン。あそこの一連のシーンはテンポもよくて小気味よい反撃のシーンなので上がる場面ではあるのですが、だけど私はひどくゾッとした。下手なホラーよりもよっぽど恐ろしい場面だと。
何故ならあれはレイプに他ならないから。
あの場面、もしもセックス(性別)が逆転していたらと考えてみてほしい。その瞬間、あの場面は金を巻き上げるのではなくレイプの場面に容易に転化できてしまうでしょう。
それこそが男性と女性という、いかんともしがたい肉体・身体性から導出されるものなのです。ネット上の一部のスラングとして「逆レイプ」というものがある。これは女性が男性を性的に搾取することを指すワード(これ自体、男性側の欲望の投射なのですが)なのですが、わざわざ「逆」などという言葉を付け足していることからも女性が本質的に搾取される側である(と男性が思い込んでいる)という差別意識の表出であるように、それを誰もおかしいと思い込まないくらい、この種の病理はあらゆるところに深く根を下ろしている。
彼女たちは金だけを目的にしていたけれど、性別が逆転していたならばそれだけでは済まなかったでしょう。
そもそもこの映画それ自体が指し示すように、男性特権による搾取の構造を浮き彫りにしている。
その男性特権を異化し表出する装置としてこのシーンは、この映画は存在する。
試写会で映画を観終わった後、コメント撮りをしていた。自分は幸いなことに(まあマスクしてたし)コメントを求められることはなかったけれど、おそらくはテレビCMのために言わされたのであろう、「ウーマンパワー!」という言葉を叫んでいた。
果たして彼女たちは気づいているのだろうか。自分たちが、たった今観た映画で描かれているような地獄にいるのだと。スクリーンに映し出されていたのが地獄だということに気づいていたのだろうか。この映画の冒頭で「事実を基にしている」という字幕に気づいていただろうか。その字幕がスクリーンの地獄と現実の地獄を地続きなものにしていることに気づいていただろうか。
この映画に出てくるみんな女性たちは輝いている(ゲロを吐きまくる人もいるけど)。それに煌びやかな衣装を纏い楽しそうにしている。
しかしその輝きはどぶ底で発せられるものだ。汚物の溜まった底の底でしか発せられない、そこでだから発せられる光輝だ。ストリップクラブは確かに女性にとっての一つのヘイブンではあるけれど、そのヘイブンが地獄にあるということを理解しているだろうか。
しかしそんな地獄にあっても、犯罪が暴かれ(その犯罪は「万引き家族」のそれと同じだ)警官に囲まれ捉えられても(警官も男性しかいない)、それでも彼女たちは屈服しない。
なぜなら画面の中心には、ハスラーズの中心にはラモーナが、ジェイローがいたから。
中心としての男性が、周縁へと追いやり搾取の対象とする女性を、しかしローリーン・スカフィリアはその女性のアイコン/パワーの象徴としてのジェニファー・ロペスを画面の中心に据え、ポールという男根の写し鏡をなぶることで男性を熱狂させ搾取する。搾取の構造を逆転して描いてみせる。
試写会のトークで山崎さんはジェイローの背中の筋肉を翼に例えていた。その意図は私はわからないけれど、確かにあれは翼なのだと強く同意できる。
何故なら彼女は地獄にあって光を指し示す天使に他ならないから。それだけの肉体の力強さをジェニファー・ロペスは体現している。
この映画のラストは、彼女たちが輝くストリップのシーンをバックにクレジットが流れ始め幕を閉じる。
ハッピーエンドなどではない。無間地獄のような世界を描きながら、それでも絢爛なまま終わる。女性にとっての絶望と地獄を描きながら、それでもなお力強く輝かんとする女性たちの姿を映して。
「ハスラーズ」と対置させられるのって、「マネー・ショート」だけじゃなくて「俺たちニュースキャスター」シリーズなんですね。
いやー根深いなー。