dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

ブラックパンサー

MCUでもトップ3に入ってくるレベルでの映画でしたねー。

MCUっていうか、単純に映画として面白い。人種が云々とか、そういうのははっきり言って表層的にはどうでもよくて、単純に面白いんですよ、これ。

端折って物語を説明すると「デビル・メイ・クライ3」ですな。

人によっては敵キャラクターの方が好きという点でも「DMC3」と被りますね。

魅力的なキャラクターに世界観。

カーアクション・リモートコントロール・擬似ワンカットのアクションなどなど、ともかくかっこいい・楽しいシーンが盛りだくさんで、テンポもよくまったく飽きさせることがない。

何より王位継承の話として重要な正統継承者とその座を狙うもう候補者という話として、よくできている。ぶっちゃけティチャラよりもキルモンガーの方が好きな人は多いでしょうし、自分もキルモンガーの方が好きだ。

クロウやロスなんかの脇役もしっかりと見せ場があってキャラ立ちしている。特に今回は女性陣が魅力的で、シュリを演じるレティーシャ・ライトの好奇心旺盛なジーニアスっぷりやナキアとオコエの対置されたキャラクター像など。ウカビを演じるダニエル・カビーヤは「ゲットアウト」で主役を務めていまいしたが、今回は割と汚めな役どころ。若い世代だけでなくフォレスト・ウィテカーなんかもちゃっかり参戦していたりして「トワイライト・ゾーン」のファンなんかは「ローグ・ワン」のどうでもいいキャラでの扱いに対する溜飲が下がったんではないでしょうか(笑)。

まあアフロフューチャリズムな町並みが映像的に革新的だったか、というとそんなことはないんですが、マントのシールドなんかのアニメ的な表現をライブアクションに持ち込んでくれるのはやっぱり気持ちいい。「マトリックス」がそれのトレイルブレイカーであったわけですが、こういうのは露骨にやってくれた方がやっぱり楽しいですね。

 

えー個人的にはMCUの続編よりも、各国にスパイがいるという美味しい設定を使ってワカンダの各部族だったりの内部分裂やミッションインポッシブルなスピンオフ映画が観たいなーと思うほどこの世界観にどっぷりです。

 

この映画にまつわる部分で人種的な構成が色々と取り沙汰されてはいますが、語弊を恐れずに言えばそんなことはどうでもいいです。そういう人種がどうこうとかそういうのとか関係なく、ただ純粋に一本の娯楽大作映画として面白いから。

もちろん「デトロイト」「ゲット・アウト」を観て、やや「それでいいのか?」と思っていたところに、それこそ黒人側から自身のアンサーとも取れる志も立派な部分ではあるんですが、単純に「面白いしかっこいい」。それだけでこの映画は見る価値があります。

 

 所々で背景と人物の合成が若干浮いているような部分もありましたが、まあそれはIMAX3Dで見たから、ということかもしれない。ていうか、そんあことは些事なのでよほど気になる人でなければ全然問題ないです。

 

ただ一つだけ言わせてもらうとスコア出せよ

まあ薄々思ってはいたけど案の定スコアねぇでやんの!サントラもいいけどさーすごい印象的に使われてた「wakanda」とかあるんだからさースコアCD出して欲しいんですが。

 

 

まとめ。あとブラックパンサー観てきた

レッドフォードの黒ひげと金髪がアンマッチすぎて笑える。

明日に向って撃て」が面白かったどす。

ホモソーシャルな感じとか、ラストのあれは「ライルド・バンチ」を想起したりもするし。あと火薬使いすぎていて、2回目の金庫爆破のところで木片が滅茶苦茶爆散していて思わず笑ってしまったんですがね。

 

インセプション

ディカプリオの一人相撲をチームで解決するお話。

改めて見るとプリオ×ケン・ワタナベのホモソーシャル要素もあるという。

全体的に役者が好みの人ばかりだったのもあってずっと見てられましたね。ノーランの映画は割と途中でダレることがあるんですけど。とはいえ、メインとなる夢の世界の構造というか理屈がイマイチわかりづらいのがもうちょっとどうにかならなかったのかなーというのがある。どうして第3階層がmgsのステージみたいなのかとか、無重力である必要性とか。おねしょするときに水関係の夢を見るというのは割とありがちなのでわかるんですが。まあそれでも映像的に十分楽しめるので問題ないんですが。

最後にコマをどう見せるか、というところでああいう選択をするのがすごいノーランらしい。

 

「新婚道中記」

三谷幸喜の作風で三谷幸喜以外がちゃんと面白く作ったらこうなるだろう、という感じの映画で笑えました。

雨降って地固まるという感じの映画。「女性について学びましたよ」からの「卒業証書」と言って手渡すのが面白い。

 

 

幸福の黄色いハンカチ

これ、ワタクシ的にはかなり上位に入るくらい好き。多分、またあとでもう少しちゃんと書きますが。

細かすぎて伝わらないモノマネ選手権古賀シュウがやってたモノマネが誇張じゃないっていうのがまた面白いんです。

 

それより今日ブラックパンサー観てきたんですが、ともかく最高だったのであとで記事書きますぅ

 

 

 

ラッキービガイルド

結局「ビガイルド」を観てきたわけですが、なんか思っていたのと違いましたが、思っていたのと違ってそこがむしろ面白かった。ほとんどエロシーンはないのに15禁だったのは、コリン・ファレルの足の傷がグロいからだったんですかな。エル・ファニングのエロを期待していたんですが、そこだけ残念ではあるかもしれません。

実はドン・シーゲル監督イーストウッド主演で以前にも映画化されていたという作品なのですが、そっちは未見。

超簡単にまとめてしまうと南北戦争を背景に(本当に背景にあるだけなんですけど)ハーレム空間を描いているだけなんですよね。一番設定として近いのは「流されて藍蘭島」かな。

ただ、そのハーレムというのを女性目線で描いているというのが、かなり新鮮味があるというか。いわゆる昼ドラ的にドロドロが表面化するわけでもなく、ラストに至るまで関係性が変動しないというのも、実はかなり珍しいんじゃないでせうか。

そのへんの、絶妙なパワーバランスや各々の行動の機微みたいなものが本当に面白くて、食事のシーンなんかは割と本気で笑いをこらえるのが大変でした。「わたしが作ったの」「わたしの教えたレシピ?」「わたしが拾ってきたのよ」とか、あの辺の応酬は本当にニヤついてました。ていうか、はっきりコメディでしょ、これ。

日本でハーレム作品といえば往々にしてアニメ・漫画がほとんどですが、はっきり言ってしまえばそれらの大半は所詮が恋愛ごっこで女の争いのままごとを描いているだけで、ある種のユートピア的な退屈さでしかないわけですが、ちゃんとやったらやっぱり面白い題材なんですよね。

今回は撮影監督のフィリップ・ル・スールがかなり良い仕事をしてくれていて、画面アスペクト比とか時代に合わせて電灯照明がないという設定に準じるために自然光を使ったり、それでも足りない部分はロウソクを使ったりしていて、寄宿舎の陰鬱とした空気はすごい出せていて良かったですな。ただまあ、「ウィッチ」でも思ったのですが暗すぎてよくわからないシーンがあったりして少し困る。

 

ラストちかくの一連のシーンで、ある女性キャラクターが一人だけほかの女性たちと別行動を取るわけですが、そこからのラストに至るまではオーソドックスではありますがハラハラしますた。

ただ、何か劇的な事が起こるといったわけでもなければ、前述したようにドロドロが直接的に表面化するというわけではないので、前半はちょっと間延びするように感じるかもしれませんね。

あと、男根の去勢としてのメタファーだったり、ある料理を食わされてコリン・ファレルが死んだりするという皮肉っぷりだったり、ラストのカットで門のデザインを利用して、あるキャラクターだけがほかの女性キャラクターから隔絶してしまったことを示していたり、そのへんは上手かったですな。

 

個人的にはソフィア・コッポラの映画の中では今のところこれが一番好きだったり。

パンフレットの情報の少なさだけはちょっとアレですかねー。せめて役者へのインタビューとかないのかよ、と。いや、役者へのインタビューって大半のパンフレットでは掲載されていますし、それゆえに以前は「役者のインタビューなんて大半が同じようなことしか言わないから削って構いますまい」と書いたこともあったんですが、こと本作に関してはそれぞれの役者がそれぞれの役についてどう思ったのかはかなり気になるところだったので、そこは欲しかったなー。スチールで濁さんでくらはいよー。

 

で、その後に「ラッキー」の試写会に行ってきました。

まったく観るつもりはなかったんですけど、たまたま当選したので観に行きましたが、一般観客に向けられた映画ではないよなー、これ。だから公開館数がかなり少ないのだろうけど。

監督はジョン・キャロル・リンチ。役者として「ファーゴ」「ゾディアック」「グラン・トリノ」といった名作から「ファウンダー ハンバーガー帝国の秘密」などにも出ている彼の初監督作品ではあるのですが、これはもう監督の映画というよりは俳優ハリー・ディーン・スタントンの映画であると言っても過言ではないでしょう。「レボリューション」と同じ系譜、といえばいいのだろうか。

というのも、この映画はほとんど主演ハリー・ディーン・スタントンのドキュメンタリーと言っても過言ではないくらい、ラッキーというキャラクターが彼に依拠している。実際、脚本のローガン・スパークスとドラゴ・スモーニャはハリーの出演作と私生活をベースにハリー本人に宛書きをしたと監督は言明している。

問題は日本の観客のどれくらいが彼を知っているのかということでしょう。もちろん彼のキャリアは長いし「ツイン・ピークス」にも出ているし「エイリアン」でブレットを演じていたりmcuの「アベンジャーズ」にカメオ出演していたりするので、決して無名な俳優というわけではない。けれど、今の人がどれだけ彼を知っているのだろうか。少なくとも、自分は知らなかった。

けれどこれ、本国での公開は2017年3月から7月にかけてで、主演のハリーが亡くなったのが2017年9月ということらしいのですが、むしろ日本の観客はこの時差によって別種の感動がもたらされているのではないかと思う。

つまり、少なからず役者自身が投影されている主人公ラッキーの、変わらないルーティーンの中で老いさらばえ死を意識するようになった老人の、そのさいごを目の当たりにするという、メタな感慨があるのだと思う。第二次世界大戦の話は、それこそ二人の体験談なのかもしれないし。

だから、この映画は万人に向けられた映画ではないし、映画好きが劇場に足を運んでまで観に行くようなタイプの映画ではない。かといってDVDでレンタルしたりネットフリックスで観るような作品とも違う。もしもこれを能動的に観る人がいるとするならば、それは熱烈なハリー・ディーン・スタントンのファンか、少なからず死を意識している人くらいだと思う。あとはまあ、デヴィット・リンチのファンとか(笑)

 

この映画には、およそフィクショナルな物語や設定というものは存在しません。その代わりにあるのはラッキーという老人のルーティーンな日常です。同じ場面に同じ人物が登場し、言葉を交わしたりものを食ったり飲んだりするだけ。アクションといえばラッキーが歩くシーンくらいでしょうが、彼が歩くシーンはかなりあります。同じ道を同じ角度から同じ人物が歩いていく。そんなシーンがいくつもあります。北野映画ではありませんが、90歳の老人がハキハキと歩いているという、ただそれだけのシーンにもかかわらず、あるいはそれだけのシーンだからこそ奇妙な感動が去来します。

もちろん、それは誰もがそう感じるとは限らない。それは、身近な人がやせ細って歩けずに寝たきりのまま死んだのを見たから、という個人的な体験がベースになっているのかもしれないし、歩くという運動が映画的快楽をもたらしてくれるからかもしれない。

何度も同じ風景が映し出され、そこを歩くラッキーのルーティーン=日常は、観ている人にとってはとても退屈かもしれない。けれど、彼が「秘密を教えよう」と言って「怖いんだ」と他者に打ち明けた時、それまで退屈に見えていた彼の日常がとても尊いものに思えてくる。

そして、その言葉に説得力をもたせているのは、ハリーの肉体の有する「老い」なのです。たるんだ頬の肉や乳房に細い手足。執拗なまでに彼の身体を映していたのも、ハキハキと(けれどどこかおぼつかない)歩行も、全てはハリー自身の背負った老いという肉体の現実なのです。そのフィジカルな現実は、やはり記号であるアニメーションとは違う、ライブアクションならではです。

わたしは、若者が老人を演じたり健常者が障害者を演じたりすることが間違っているなどと、ポリコレじみた妄言は馬鹿らしいと思っています。けれど、年月を積み重ねた老人が老人を、まして本人自身をカメラの前に現出させるということは、ほかのどんな演技巧者であってもできないことだとは思います。その意味で、わたしはこの映画をドキュメンタリーだと思って観ていましたし、製作陣もそのつもりだったのでしょう。

だからこその感動なのでしょう。

 

ラッキーはラストにいたり、こちらに微笑みかけ、道の向こう側に歩いて行ってしまいます。まるで人生の「EXIT」である向こう側へ行ってしまうように。

ワイルドスピードスカイミッション」におけるポール・ウォーカーの追悼とは違い、ハリー・ディーン・スタントンはこのシーンを撮影した時点ではまだ存命していた。けれどこのラストは、どう見ても死を予感させる。

それは、ハリーが亡くなっていることを知った状態で観たからだろうか。よくわからない。

そうして、ハリーが道の向こうに去っていくと、画面の端っこからタートル(ではなくトータスですか)のルーズベルトが現れます。映画の冒頭に現れた彼の姿をもって、この映画は幕を閉じます。

ルーズベルトの歩みの鈍さは、今となってはとても羨ましいものです。 

 

実は宗教を持たない日本人こそこの映画を観る意味があるとは思いますです。宗教を持たない者にとっての死は、持っているものにとっての死などよりもはるかに恐怖であるはずですから。

普通に面白い作品たち

地上波での放送がかなり早かった「キング・オブ・エジプト」

なんていうかこう、頭空っぽにして楽しめる映画としてはこれかなり良いんじゃないかしら、と。

金ピカ瀟洒な画面とか、神と人間の差を表すのにわざわざサイズ変えてたりとか。

地味に、というかかなりエピックだし。

吹き替えのヒロインはちょっとアレでしたが、オカリナとかハマってましたね。

あとホルスの「パパごめん」とか萌え要素があって良い。神サマがパパ呼びっていうのギャップ萌えですよね。

 

インファナル・アフェア

個人的に一番好きなスコセッシ作品である「ディパーテッド」のリメイク元の作品。

話はもちろんエレベーターとか屋上とか、ほとんどそのままで吃驚。まあスコセッシの方がバイオレントだったり余計な回想がなかったりと洗練されてはいるし、役者の顔もちゃんと意味付けさせていたりするわけですが、小説の件とかは割といい感じ。

ていうか「ディパーテッド」の方は好みの役者が好きすぎる。ディカプリオ、デイモン、ニコルソン、ウォルバーグとか。

インファナル・アフェア」では個人的には警視が一番好きだったりする。

どうも続編にあたる「無間序曲」は「インファナル・アフェア」の過去編みたいなのでまた警視が見れるんだろうし、見ねば。

 

 

「スラムドッグミリオネア」

ダニーボイルが監督だったんだこれ。

手法としては、出題に対してなぜその問題の答えを知っていたのかという経緯を明らかにしていくというもので、「500日のサマー」に結構似ている。アカデミー賞編集賞も取ってるのは納得。

冒頭の時系列をわざとわかりにくくしていく編集とかも楽しいし。

アメスパ、ジュラシック・ワールドインフェルノと地味に大作に出ているイルファーン・カーンも個人的に好きな俳優なので、善良な役ではないけど良かった。

強いて言えば兄貴はもうちょっとどうにかなりそうな気がする。まあこれに限らず、兄弟が出てくると大体の場合は弟の方が善性があったりとかメインを務めたりするパターンが多い気がする。戸愚呂兄弟しかり、うちは兄弟しかり、ほかの作品でも割と多い気がする。とか書いておきながら下の「ミクロキッズ」ではまさにその逆なキャラ付けになっているんですが。

でもまあ、テレフォンの部分とか引き付けるのはやっぱり上手いし、全然楽しい映画ではありますな。

最後のダンスはいらないけと(笑)

 

ミクロキッズ

「縮みゆく人間」「ミクロの決死圏」に代表されるように、昔から人間縮小ものは小さいながらも一つのジャンルとして結構な数がある。それこそ、シリーズの中の単発の話に限ればそれこそ大量にあるだろう。「アリスインワンダーランド」も地味にそういう描写あったりしましたっけ。

ていうかちょうどアレクサンダー・ペインの「ダウンサイズ」もやっているし(近所の劇場でやってねーでやんの)、まさかそれにかぶせてきたんだろうか。

最近だと「アントマン」がかなりこれに近い(蟻も登場しますし)ですが、ぶっちゃけ「アントマン」よりも好きかもしれない。あっちはあっちで面白いんだけど、今見ても「ミクロキッズ」のSFXはすごいですよ。セットも作りこまれてるし、むしろ実在「感」としてはこちらのほうが没入できるというか、異界を見せられている感覚が強いと思う。

水滴とかレゴとか、そういうアイデアをちゃんと作りこんで見せてくれているから今見ても観賞に耐えるのでしょう。常に先端技術を取り入れていくのは、さすがはディズニー(というかILM)といったところでしょうか。まあ特殊効果に精通しているジョー・ジョンストンだから、なのでしょうが。

蜂(蠅?)の視点飛び回るシーンとか、そういう特撮を楽しむ映画でもあるんですが、ジュブナイルアドベンチャー的な側面もあるだけじゃなくて怪獣特撮でもあるという。

いや、これは娯楽系の映画の満漢全席(は言い過ぎにしても)としてかなり良い映画ですよ。純粋な楽しさで言えば「グーニーズ」よりもこっちのほうが好きかなぁ。まあ子どもたちの、特にCV堀絢子の弟メガネのキャラは少し弱いかもしれませんが、サリンスキー弟CV野沢雅子の口が達者な悪ガキとか好みですし。

あとサリンスキー兄が、あの時代にしてはマッチョ系じゃなくてちょっとナヨナヨした、それでも芯のあるキャラクターというのが、作り手の優しさを感じた。

クリス・コロンバスがヘタレた今、ジュブナイルSFはジョー・ジョンストンに任せるべきなのかもしれない。

 あとフランク・ウェルカーは動物系の声やりすぎ。

 

「モンスター」

シャーリーズ・セロンがやばい。

メイクの力もあるんでしょうが、とんでもない顔面力。ほほの肉のたるみとか。

話は「テルマ&ルイーズ」のバッドエンドルートといったところでしょうか。主役二人がどちらもガキすぎて、それゆえにあの破滅ルートを辿るという。

セルビー役の女優をどこかで見た記憶があったんですが「キャスパー」とか「アダムス・ファミリー」に出てたんですな。

まーじゃっかんクリシェに陥りそうなきらいはありますが、それでも観ていて面白い映画ではあるかも。

基本的にはシャーリーズ・セロンのための映画ですが。

 

 

あと「ビガイルド」見てから試写会に行ってきたので今日にでも書きます…。

グレイテスト・ショーマンより断然フリークの話ですた。

シェイプ・オブ・ウォーター」観てきました。

編集騒動でちょっとバズってましたが、一箇所のぼかしはマイケル・シャノン演じるストリックランドとその妻のベッドシーンのほんの一瞬でした。

ぼかしが入ると笑っちゃうから本当はこういうのはやめて欲しいんだけど、「プリディスティネーション」に比べればこの編集はそこまで問題視するほどじゃないとは思う。

だから、某ネットサイトのライターみたいに劇場鑑賞を忌避する必要はないでしょう。

 

こと世界構築という点において、ギレルモ・デル・トロは「ブレード・ランナー」「グラディエイター」のリドリー・スコットに匹敵するといっても、まあそこまで異論はないでしょう。ファンタジーとリアルという方向性の違いはるけれど。

 

これは「そう生まれてしまったモノたち」の物語であり、実はその点においてマイケル・シャノンですらフリークと読んでも差し支えない気がする。ぶっちゃけ、日本の企業体質を知っている人からすると、シャノンに感情移入してしまってもおかしくはない。それくらい、軍という組織のシステムの中でシャノンは苦しみ、あそこまで強権的に振舞わなければの組織の中で生き残ることができなかったのだから。上からの命令に不満を抱きつつもそれに従うしかないあの姿は、はっきり言って児童向けアニメの悪役の下っ端そのものです。

むしろ、この映画における一番の被害者はシャノンの文字通り男根主義を表現するためキャンバスとしてしか役割を与えられない妻(ローレン・リー・スミス演)かもしれない。ほとんど描写がされないという、メタな意味でも。もちろん、これは冗談だけれど、そういう見方もできる。

対置されるイライザとストリックランドの性描写などからもわかるように、この映画が物語っているのはやはり「RAW~少女の目覚め~」(傑作)にも共通する、同類の相克性がある。イライザのオーガズムのメタファーとして卵が頻用されているが、単純に生殖器としての卵(らん)だけではなく、デルトロだけにエジプト神話・ヒンドゥー神話・ギリシャ神話あたりからの意味の付与もありそうだ。

だから、この映画に出てくる登場人物たちは「そう生きるしかなかったモノたち」であり、けれどそれゆえに惹かれあうことができたのだ。その意味ではストリックランドですらやはりフリークであるといっていい。現に、彼は劇中で指を半魚人に指を食いちぎられ欠損することで、イライザと同じくフリークの形象を表出させる。

終盤のアメちゃんへのこだわりのシーンなんかは、特にそれを表すのに顕著かと。

そして、その生き方や考え方は国や人種という垣根を越える。本作が冷戦時代を舞台にしたのは、単に怪獣=生物兵器化という安易なフレームを流用したかったからだけではないだろう。米ソという巨大なイデオロギーに支配される中でも、そのイデオロギーを超えて一人の「個」としての愛という自我の発露を描きたかったからに違いない。

 

エロだったりグロだったりしますが、キュートな場面もたくさんある。たとえばリストラ(おそらくはホモセクシャルであることで)イラストレーターのジャイルズ(リチャード・ジェンキス)とイライザのソファーに座りながらのタップ。最後にお互いの足をタンッと合わせる部分まで含めて、ここをGIFで延々と観ていたいくらい愛らしい。

あるいは、イライザが「彼」とメイクラブした翌日の浮かれポンチっぷり。童貞捨てた男子中学生並みのボケっぷり(ご丁寧に赤い服装してるし!)なんか微笑ましい。

即落ち2コマのようにストリックランドが車を買うシーンや、キズモノにされるシーンまで含めて。

些細な描写も気が利いていて、特にジャイルズの描写はほとんどはつ恋で浮かれる中高生のそれ。好きな人と話たいがためにまずい食物を買って、まずくて食べられないから冷蔵庫にたくさん余ってるのとか、「キャー喋っちゃった」みたいなキャピキャピとした反応とか。おっさん萌え。

あと毎度のことながらオクタヴィア・スペンサーの保護者感とか。

それ以外にも、「彼」とストリックランドのイライザへ喉の触れ方の違いや、意趣返し的なストリックランドの最期などなど。

 

あと色に対するこだわりもすごいです。今回は全体を緑色(ではなくティール色ですか)の世界観に統一しているのですが、日本語字幕まで色味がティールがかっています。日本語字幕スタッフの配慮がにくい。

 

奇形の美しさを堪能する映画として、これは傑作でせう。

 

 

余談

デルトロの作品で言えば「パシフィック・リム」が一番好きなのだけれど、あれは特定の部分にパラメーターを全振りしているわけで、それはすなわち特定の層にとってのマスターピースになるということにほかならない。その特定の層に含まれる自分にとっては「パシフィック・リム」は殿堂入りのようなものだから揺るぎようがない。

なぜなら、「パシフィック・リム」は映画そのものが奇形だったからだ。あんな一点突破型でマスに向いていない映画がビッグバジェットで作られるというのが、そもそも歪であり、だからこそメジャーなカルト足り得たのだから。

 

関係ないことですが、博士と半魚人は絶対にデルトロ自身の投影なはず。映画観てるシーンとか、怪獣への愛とか。

 

 

 

レベッカ・ファーガソン(※じゃなくてローレン・アレッド)の歌唱力半端ない

グレイテスト・ショーマン」と呼ばれる映画をようやっと観に行ってきた。

昨日から「シェイプ」「15時17分、パリ行き」「ブラックパンサー」と大作・話題作が公開されているし、そろそろ分散されてくるだろうと思ったら平日の昼から結構な席が埋まっていたでごわす。

ほとんど女性客で年齢層も広かったんですが、やっぱりミュージカル映画って女性の皆さんはお好きなんですかね。それとも「ラ・ラ・ランド」スタッフという売り文句の効果でしょうか。まあミュージカル好きなんだったら是非「ジェリーと恋と靴工場」を観てもらいたいものです。はい、こういう道連れ思考はよくないですね。

実在のショーマンでありバーナム効果のp.t.バーナムをモチーフにしたミュージカル映画ということで、まあ当然というべきかフリークスがたくさん出てきます。

今ちょうどフリーク関係の本を読んでいるんですが、親指トムヴィクトリア女王の関係とかは特に本編で言及はされなかったですね。どうでもいいけど親指トムの話って日本人にどれくらい馴染みがあるのだろうか。ギリギリ名前で察せられないこともないけど、親指トムの話を知っていないと微妙に分かりづらくないかなーとか思ったり。

 

導入を派手なミュージカルシーンで引き付ける手法は「ラ・ラ・ランド」でもやっていましたが、今回はまあ色々な制約もあったのでしょうがカットをかなり割るので「ラ~」ほどの上がりっぷりはないのがちょっと残念といえば残念か。あれのレベルを毎度毎度期待するのがそもそもアレなのですが。ある意味で功罪とも言えるのかしら、これは。

とはいえ、歌はどれも素晴らしいし、演出もかなり計算されて工夫も凝らされている。チャリティとバーナムが結婚に至るまでの一連の流れ。特にバストアップでダンスを撮っていたカメラが引いていくとチャリティのお腹が膨れているのとか、そういううまい繋ぎ方が結構あった気がする。

 

でも、せっかくフリークショウなんだから可愛い女の子のアン・ウィーラーをフィーチャーするより大男とか双子とか、それこそ大佐にもっとスポット当ててもいいと思うんだけどねー。そういう意味では髭女とカーライルをくっつけるのが良かったようなきもするが、ダメなのですか。

いや、わたくしもアン・ウィーラーを演じるゼンデイヤ(どっかで見た顔だと思ったらトムホのスパイディに出てましたね)には魅了されましたがね。カーライルとのロープアクションもといワルツ的空間はもすごい良かったし、ここだけ抜き取れば文句ないんだけれど。結局、ほかのフリークたちにほとんどスポット当たらないのがねー。

ミュージカルシーンの双子のダンスとか、かなりアクロバットなことしてるんだけど、どうしても大勢の中で埋もれてしまいがちだったりするし、そもそもキャラクターとしては造形されないし。

 

本当に正直に言ってしまえば、個人的に一番の収穫はレベッカ・ファーガソンですた。「ローグ・ネイション」での二重スパイ役が光っていましたが、まさかこんなに歌が上手いとは思わなんだ・・・。

ここで一番鳥肌立ちましたですよー。特に最後の公演における同じ「ネバーイナフ」の歌い方の違いとかもねー。これって劇中バージョンはサントラに入ってるのかなー。

そんなわけで、普通に見る分にはフッツーに楽しめる。

※4/8追記:レベッカ、歌ってないってよ

歌の部分はローレン・アレッドっていう歌手だそうな。

 

しかし、やっぱりミュージカル映画は割と苦手なジャンルかもしれない。どうにも歌と踊りでケムに巻かれている感覚になってしまう。だから、あまり何度も観に行く気にはならないかしらしらしら。

 

あーあといくつか録画してた映画観たのでそれぞれ一言だけ添えていきますか。

「ジャージーボーイズ」

イーストウッド映画。

シンプソンズのビーシャープスとかサウスパークのカイル・スタンのペアが音ゲーのあれの原型的なお話。まあまあ面白い。

「LIFE/ライフ」

なんかすっげー普通。ベン・スティラー主演でベン・スティラーが監督してるっていうから結構ぶっ飛んでんのかなーとか思ってたんだけど、何をいい感じの映画に仕上げちゃってんのよーといった感じ。「トロピック・サンダー」とか「ズーランダー」くらいぶっ飛んでくれたら面白かったんだけどね。

いや、面白いっちゃ面白いんですけど。

あとクリスティン・ウィグって普通にキレイめな女優として見れるのが以外。

「私は二歳」

ヒッチコックの「鳥」みたいなシーンでワロタよー。

観たものまとめ

ブルーベルベット」と勘違いしてたらウディ・アレンの映画だった。

それはともかく面白い。

ケイト・ブランシェットの急に独白する演技の本当に病んでる感じとか最高。

そういえば「シェイブ・オブ・ウォーター」のサリー・ホーキンスも出てましたね。まだ観てませんが、「シェイプ~」の方の役どころからはおよそ逆算できそうにないホワイトトラッシュなキャラを演じています。

ニュースの天才」のピーター・サースガードも出てましたな。

基本的にはコメディ映画だし、個々のディテールは笑える(金ないのにファーストクラスとか)んだけど、実はよく考えると全然笑えない部分があったりする。ていうか、帰着の仕方からしてかなりシニカルだし、むしろ「だめだこの姉妹早く何とかしないと」的な余計な気遣いまでしたくなるくらい。

たとえばジンジャーの子どもたち。劇中では割とコミカルに描かれてはいたけれど、再婚するであろうチリが果たして本当に子どもたちを愛してくれるのか、とか。だってそこらへんの交流は描かれてませんからね。

あと、基本的に姉妹は何かを学んで再スタートを切るというわけでもなく、

これ、日本でやったら間違いなく無理やりハッピーエンドっぽく仕立て上げられそうですな。しかしタイムラインを意図的にわかりづらくしている編集など、なんというか映画の構造自体が少し意地の悪いものなので、かなりブラックコメディの類だと思いますです。

 

「孤独のススメ」

原題は「Matterhorn」ということで、おそらく「孤独のグルメ」のパロディとしてこの邦題を付けたのだろう。「~はらわた」やら「26世紀青年」やら「バス男」やら、日本の配給会社や広告代理店のセンスたるや動かざること山の如し。

LGBT映画祭で色々な賞を取っているらしい。あんまりLGBTっぽくはないと思うんだけどねぇ。明らかに、そういうセクシャリティみたいなものを強調していないし。でもまあ最後の歌のシーンとか「チョコレート・ドーナツ」ぽくもあったりはするか。

話自体はかなり奇妙なバランスになっていて、なんか女性漫画家の短編とか同人にありあそうな感じといえばいいだろうか。

ジジイ萌えする人は観てもいいかも。小汚いおっさんのウェディングドレス姿が観れるというのも珍しいし。

 

「ハートロッカー」

ビグロー作品。「デトロイト」から遡る形だけんど、こうして観るとかなり演出の地続き感がすごい。

ウィッキーの作品解説の文中に共存する「低予算」と「16億円」という、日本人的感性からすると「それっておかしくね?」な字面。まあハリウッドからしてみれば20億円に満たない予算など低予算扱いなのだろう。ベイも「ペイン&ゲイン」のときに20億円くらいの予算を低予算と言っていたし。

ただ「デトロイト」に比べるとスロー演出の多用なんかがベイっぽかったり、表現の仕方にまだフィクショナルな方法を用いている気がする。

や、これは普通に面白い映画でしょう。

大佐の死亡フラグの立て方とか、トラウマを和らげようとしてトラウマ植え付ける無能っぷりとかは笑ってしまうんですが。

あと子どもの死体から埋め込まれた爆弾を取り除くシーンはMGSを思い出しますが、小島秀夫はこの辺を参考にしてたりするんだろうか。作品自体には言及しているし観ていることは間違いない(そもそも小島秀夫アカデミー賞作品を観ていないわけがないのだが)し。

ジェレミー・レナーの戦場以外での無能っぷりは、分野は違えど本多猪四郎を彷彿とさせますな。

 

イコライザー

たまたまテレビつけたらやってたよ! 前から観たいとは思いつつも次々に観たい映画が増えていって埋もれてしまっていたのですが、ちょうどいいタイミングで観られた。さすが午後ロー。

期待値を上げまくっていたせいでそれを越えることはなかったけど、デンゼルかっこいいしそれで十分だろう。個人的にはたまたま観た「トレーニング・デイ」の方が好きだったりしますが。

まあ午後ローなのでおそらくコマーシャルを除いた本編の放送時間は90分前後。しかしノーカットだと130分を超えるわけで、CM明けに「え、場面すごい飛んでるな」なんてことはかなりあって、まあちょっとモヤモヤしたものもあるんですがね。

それでも、作風としてあえて過程を省き結果を後から見せるという手法は少年漫画なんかでもありがちではありますが、やはり燃える。個人的にはラストのプーシキンの部屋から出てくるカットはワンカットで屋敷中に死体が転がっているのを見せるくらいの大胆さがあってもいいかなーとは思う。

全体的に少年漫画っぽいというか、いわゆる「なろう」系ぽさもあるんだけど、それを裏打ちする演出・デンゼル力があるので素直に「カッコイイ!」と観れるわけですな。