dadalizerの映画雑文

観た映画の感想を書くためのツール。あくまで自分の情動をアウトプットするためのものであるため、読み手への配慮はなし。

眼下の敵

敵の敵は味方、という言葉がある。利害の一致による共同戦線を張ることであり、AVPにおけるスカープレデターとサナ・レイサンであるわけです。あるいはインセクトロンに立ち向かうメガトロンとコンボイ

 しかし、この「眼下の敵」におけるアメリカ人とドイツ人は明確に敵対しており、味方とは決して呼べません。事実は、両国の軍人たちは自らの任務に忠実であります。そして、その一点において両国の人物たちは同志であり友であるのです。そういう意味では、プレデターとサナ・レイサンもメガトロンとコンボイも根っこの部分では同志であるわけですが・・・。

この映画は、戦争に関わった人々に対してとても誠実なのではないかと思います。本作には、厳密には敵というものは存在しません。というより、敵という一元的なものに収斂されるような描かれ方をされていないわけです。ヒトラーに対する批判めいたものはなくもないですが、それにしたって個人的で卑近な視点から描かれるだけであり(しかもドイツ人側)、巨悪としてのヒトラーは登場しません。

この映画には、およそ地上というもの、そして地上にいる人間が映し出されることはありません。それは潜水艦映画だからというだけではないと、私は思います。意図的に排されているように、どうしても見えてしまうのです。地に足をつけていないことがどれだけの恐怖であるかは、一度でも深い海やプールに入ったことがある方々ならわかることでしょう。この映画の画面に映し出される人々は、安全圏たる地上から断絶した、その恐怖の中にいます。孤立した海上海中で、彼らは忠実に任務をこなしていきます。これは戦争映画としても上質な出来栄えなのだと思います。私は戦争映画なんて片手で数えられる程度しか見ていません。それでも、この作品の中に出てくる人々は常に全力を尽くし、相手の出方を予測し、最良の選択を行ないます。両者が全身全霊を尽くす様は、青春スポコン映画のそれともダブります。「聖の青春」における村山聖羽生善治の対局でもあります。前述の通り「任務に忠実である」という部分で両者どうしようもなく敵であり、どうしようもなく同志なのです。これは矛盾ではありません。

クライマックス、アメリカの駆逐艦とドイツの潜水艦が炎上する中でドイツ人を助けるアメリカ人の姿は、スポーツマンシップと同じです(誤解のないように付記しますが、これは決して戦争がスポーツであると言いたいわけではありません)。そこには戦争という憎悪と腐臭を撒き散らす地獄の中で、人々が持ちうる高貴なものです。画面に広がる青々とした大空と雲、一線を引く地平線。これを見て気持ちよくならないわけがないのです。

青空の下で立ち上がる巨大な水しぶきと爆音。アメリカ海軍が全面協力したというだけあって60年前の映画とは思えない迫力ある映像が楽しめます。不可能な映像ですら再現しうるCGではない、可能であるからこそ徹底してその可能性を描いた迫真の爆雷描写は昨今ではマイケルベイのガチ爆発くらいのものでしょう。98分というビッグバジェットの大作にあるまじき短い尺の中に物語は凝縮されています。最後にマレル艦長とシュトベルク艦長の交わす言葉。その青臭さは日本人がガイジンを見ることによる異化によって脱臭され、純粋な思いだけが浮き彫りにされます。ひねくれた人間である私でさえ「くっさ」と思うことなくただただ感動できます。

原題「The Enemy Below」。映画を観たあとでこのタイトルの持つ意味を考えてみると、なんともアイロニカルに思えてきます。

腕を無くしたり指を切断する人は出てきますし、それは決して生易しい描写ではありません(断面見えてたりするし)。けれど、それはなんというか、現実への目配せというか起こった事実に対する誠実さのようなものであって、それによって作品のトーンが著しく重苦しいものになるというわけではないです。プライベートライアンじゃないですし、これ。

戦争映画の古典的名作。観て損はないでしょう。